雪や積雪、雪崩

雪崩 その遭難を防ぐために

R0010230.JPG雪崩 その遭難を防ぐためにアメリカ林野局著 橋本誠一・清水弘訳 
 1974年3月25日に初版、翌1975年11月25日に第二版が発行された。このようなマイナーな分野の書籍が一年を待たずに、第二版が出版された当時の時代背景に興味が湧くのである。
 合衆国林野局で初めて雪崩について出版されたのが「アルタのなだれ研究(1948年)」でユタ州アルタにスキー場が開発されて以来10年間の経験や研究をまとめたものである。戦時中と思うが、1938年にはレジャーとしてスキーがなされていたのである。その後ワシントン州スティーブンス峠やコロラド州バーソード峠に研究所が設立された。
 1952年に今までの研究業績をまとめ、「林野局なだれ教程」として出版された。その後、八年の成果は「雪崩」「雪崩事故集」「新しい雪崩救助法」として出版された。本書は林野局の了承を得て訳、合本されたものである。
 1973年10月1日の「訳者あとがき」を読むと興味深い。我が国は世界でも屈指の積雪地帯を有する。昔は越年といって雪国では平野と通行を絶ち、秘めやかに冬を送ったが、今では冬山登山、スキー人口の増加は驚くべきものがある。雪崩災害、危険が身近になっているのに「雪崩」の一般書がないのである。合衆国の例がめまぐるしいほど変わる日本の地形・気象にあれはまらないかも、我々が学びとらなければならない点は決して少なくない。なかでも強く感じられたのは、雪崩に対する積極的で組織立った取り組み方の違いであった。
1970年の札幌冬季オリンピックアルペンコースの一部は大会以来、雪崩発生を理由に閉鎖されている。急斜面と積雪があれば、雪崩の可能性が生まれる事は当然であり、日本では消極的に立ち入り禁止とし、一方は研究し、気象とてらして然るべき手段が講じられている。このような根本的な相違は何から生じるのか。知識の有無、安全管理の技術上の制約、雪崩に対する心構えの大きな相違であろう。
 この訳書が一般スキーヤー、登山家んの雪崩啓蒙に役立つと同時に、スキー場、山岳関係の雪崩安全管理、指導の立場の方々への問題提起となってほしいのである。
 このような「訳者あとがき」を36年経った2009年に読むと、雪崩に関してわかった事も多いが、地球温暖化による環境変化によって過去にない事例がでてきている。
 しっかり観察することは昔も今も一緒であるので、基本に立ち返り読むと良い。観測機器や情報機器は大きく進歩しているが、人間の経験値や判断力はむしろ落ちているのではないだろうか。

雪の祭典

雪の祭典.jpg雪の祭典高橋喜平著 昭和29年2月25日三版 名玄書房 
 高橋喜平さんが書れた「雪の祭典」は日本が高度経済成長する以前の雪国の生活を優しい心で描いています。又、「剱沢小屋の悲劇」のところでは、昭和5年1月に起きた雪崩遭難の悲劇を亡くなった大学生が記した「遺書」を紹介しながら伝えています。その他雪にまつわるたくさんの話をわかりやすい文章で紹介しています。
 雪といえば、江戸時代の天明の頃、 土井利位が記した「雪華図説」が有名です。これに関しては覆刻版が出版されていますので改めて紹介します。
 雪の結晶について少しだけふれますと、「雪の異名をもろこしにて六出といい、・・・・」とあります。この六出というのが、1800年も前の漢詩外伝「凡草木花立出惟雪華独六出」という章句からでたと言われています。当時から既に雪華の六方結晶がわかっていたようです。この六出が転化美称されて「六花」になったようです。その他に「不香花」「銀花」と言われたり、俳句の季題で「風花」といわれる晴天にちらつく雪もあります。「風花」は冬に六甲山の麓、神戸市街地に舞う雪で有名です。

地質(岩石、地層、鉱物など)

超火山[槍・穂高]

超火山槍・穂高.JPG超火山「槍・穂高」概原山智+山本明 著  山と渓谷社 
2004年12月1日 初版3刷
 皆の憧れ北アルプスの誕生にまつわる地質ミステリーを原山氏が解き明かします。この本を何度も繰り返して読むと、驚嘆の対象、登攀の対象である山々に意外な造山ドラマがあり、次回の山行き計画が楽しみになります。
 岩と雪の殿堂「剱岳」の誕生の秘密。上高地誕生秘話。その他たくさん面白い話がっ紹介されています。

科学全般

人類が知っている事すべての短い歴史

人類が知っている事の短い歴史.jpg人類が知っているすべての短い歴史ビル・ブライソン 楡井浩一訳 日本放送出版協会 2006年5月30日 第二版
 科学知識の変遷、進歩、衝突、混迷の道筋をブライソンが虚心坦懐にその道の第一人者の門をたたき、世界の博物館や史跡、膨大な本や資料から得た成果を惜しげもなく記されています。科学が苦手でも好奇心を失っていないあなたの更に刺激を与える事、間違いなしです。
 宇宙・地球・科学・地学・生命そして人類に冠する知識が、たった\3,150-で手に入るのです。気になるところから読めば大丈夫です。

人間はどこまで耐えられるのか

人間はどこまで耐えられるか.jpgフランセス・アッシュクロフト 矢羽野薫訳 河出書房 
2002年9月10日 第四版
 人間の生理学的な反応を説明しながら、人間の生きのびる限界を探る本である。どのくらい高く登れるのか。どのくらい深く潜れるのか。どのくらいあの熱さに耐えられるのか。どのくらいの寒さに耐えられるのか。どのくらい速く走れるのか。宇宙で生きていけるのか。そして生命はどこまで耐えられるのか。
 1万メートル上空を安心して乗っている航空機だが、外気はマイナス50度、酸素は薄く突然放り出されてしまえば、すぐに死んでしまうであろう。高度順化を上手くこなせば8848mのエベレストの頂上に立つことは多くの登山者によって証明されている。ヒマラヤの高度でも、地球の大きさと大気圏を宇宙船から見れば、本当に薄皮のような厚さだが、人間は生きて達する事はできても、その高度では子孫を残す事はおろか、数日の期間滞在することさえもできない。

紀行、ノンフィクション

死のクレバス アンデス氷壁の遭難

R0010231.JPG死のクレバスジョー・シンプソン著 中村輝子訳 岩波書店      1991年5月16日初版
作者のジョーシンプソンは1960年生まれで私と同い年である。1985年5月のアンデス シウラ・グランデ峰登攀、そして決死の下山時に発生したアクシデント。パートナーと繋がるザイルを切断せざるおえなかった極限状況を克明に追っている。孤独と不安、死への誘惑、意識と肉体のドラマである。
 映画化されてDVDも発売されているので、本書より先に映像を見た人も多いであろう。
 似たような事例では1977年オーガでダグ・スコットが頂上からのアプザイレンでの下降中に両足骨折しながらの「撤退」をクリス・ボニントン著で知った。日本でも山本一夫氏・近藤邦彦氏がアンナプルナⅡからの撤退時のアプザイレン時に山本氏はケガを負い、厳しい下山をしている。
 このシウラ・グランデ峰で起きた事故とザイルをナイフで切断するという究極の選択、そして二人の意識と肉体の有様を別々に描き出している。

チベットの七年

チベットの7年.jpgハインリッヒ・ハラー著 近藤等訳 新潮社      昭和30年10月20日初版
 「チベットの七年」 Seven Years in Tibet はオーストリアの登山家ハインリッヒ.ハーラーが、1937年のナンガパルバット遠征の帰途、カラチで帰りの船を待っているときに勃発した第二次世界大戦によって、イギリス軍の俘虜収容所にとらわれてしまうところから始まる物語である。
 世界の屋根、禁断の国チベットまでの苦難を淡々と語り、ラサでのダライ・ラマ14世との出会いと過ごした日々。毛沢東率いる中国の侵入による別れまでを山男らしい態度で書いている。
 映画になった話であるが、私は映画を見ていない。この本は昭和30年7月20日に出版されたもので54年前の本である。世界の政治経済の主力プレーヤーである現在の中国とチベット情勢と繋がっていることがわかる。
 本書「訳者の言葉」の最後に、次のような言葉が書かれている。「私はこの本を最初手にした時、次々と展開する新しい事件の連続に全てを忘れて読みふけったが、彼の冒険行は山登りとスキーできたえ上げられた強靭な肉体と精神力によってはじめてなしとげられたものであることを痛感した。そしてこの訳書を読んで下さる若い読者が、都会生活におぼれず、大自然を相手とするスポーツに1人でも多く興味を抱いて下さることを切望する。現代の若者に欠けているのはアドヴェンチュアの精神なのだから。」

白いクモ

白いクモ.jpgハインリッヒ・ハラー著 横山文雄訳 二見書房      昭和41年2月20日初版
 アイガー北壁に初めて挑んだ1935年、二人のドイツ人ゼドゥルマイアとメーリンガーは第三雪田上で死に、その場所は「死のビバーク」と呼ばれるようになった。翌年1936年の4人の登攀と死はアイガーヴァント駅の北壁に開けた「穴」と救助隊とトニークルツの悲劇として記憶されている。1938年にアンデルル・ヘックマイヤー、ルードヴィヒ・フェルク、フリッツ・カスパレク、ハインリヒ・ハラーの4人の初登攀記録とアイガー北壁登攀の歴史である。ハラーの考え方や人間性が書かれていて、現在の登山が見失いがちな点が多々書かれており興味深い。
 最近のガイド登山とハラーがこの本を執筆していた1958年前後で比べるのは難しいのだが、登山のあり方を当時も思考していたのが感じられる一文である。
 「ガイドとガイドなしで山を歩く登山家とのあいだに楔を打ち込もうとするのは、なんとばかげたことだろう。理屈で考えてそこに不和がありえないところに、ことさら不和をつくりだすことはないのである。ガイドが優秀であればあるほど、ガイドなしの登山家が優秀であればあるほど、両者はますます互いによく理解しあえるはずなのだ。彼らはただお互いに勉強することができるのである。情熱的なガイドなしの登山家は、登山の立派な宣伝家である。多くの人々が、この宣伝家によって山に目を向けるようになり、ガイドをやとい、同じように自分たちも山を知ろうという気持ちになる。しかし、天候の判断であるとか、山のそのときの状態の判断とかいった点では、その土地のガイドのほうが、よそからきたガイドを連れない登山家よりかならずすぐれている。また他方において、困難な新ルートをやるということは、職業ガイド、とくに若手のガイドにとって刺激をあたえることになる。ガイドの成長もまた岳界の発展と密接に関係している。ただ、わからずやと哀れむべき連中は、偏見をもっていて、困難きわまるルートを登らないガイドは笑われてもしかたがないと思っている。そしてまた、むかしからの道にしがみついて、あらゆる改革を拒むガイドたち、自分たちの天職の真の意味を解さないガイドたちは、先駆的な役割を演ずるガイドを伴わない登山家を無礼な闖入者と見なすのである。軽率な、あるいは不遜な態度と同様に、敵意を生みだすかもしれないわがままな頑固さも排すべきことはいうまでもない。ガイドは、すきな道と職業を理想的な方法で結びつけている人間の、めったにない、うらやましい集団なのである。」
 一部には2010年、半世紀後ではそぐわないところもあるが、概ね理解いただけるのではないか。
 登山を通じて得ることができる知識や知恵や人間性はまことに素晴しく、書物から得られるものとは異質である。それを望み、行動さえ起こせば、すべての人が経験、年齢、体力などハンディキャップに応じて、手に入れる権利がある。これはリスクを推し量り、対処するということであって、容易に手に入れられるものではなく、応じた責任も伴うことでもある。
 ここに現在のガイドに求められる要素の一部が感じられるのである。

技術書

冬山技術セミナー

雪山技術セミナー.jpg金坂一郎著 昭和35年初版、43年補遺

50年前に書かれは内容が全く色あせていないのが驚きです。良いものは良いともう一度読み直すべき本です。

スポーツ登山について
 スポーツらしく行う登山という意味であるが、その解釈は人によってかなり幅がある。スポーツを競技と考えて突き詰めると、勝負の世界に巻き込まれるおそれがある。登頂完攀という目的を勝ち取るためには、競技者のような絶えざる精進が必要であると主張する立場もある。誠に立派なスポーツマンシップである。
しかし体力や競技の技術訓練に集中しすぎると、味も素っ気もない登山に走りやすい。楽しくあるべき登山のトレーニングが苦行に陥りやすい。しかもその結果として、登攀能力は以上に大きいが、危険に対する判断力の弱い、バランスの悪い登山者にしてしまう例が少なくない。
登山者の責任
 登山者自身に対する責任。無理な計画を実行するとか、体調不良なのに山に行く。こういった遭難スレスレの登山は自らに対して無責任である。と同時に仲や家庭や社会にまで迷惑をかける。リーダーとして無責任な態度をとる人、仲間に対して協力的でない人も同様である。
 山そのものや山小屋など施設を傷つけてはならない。自然の許容量に配慮し謙虚でなくてはいけない。自然の力の前では人間などとるに足らない存在だが、多数で、且つ乱暴に侵入すれば自然は想像を超える急激な変化をしてしまうのである。
 登山者の相手は山だけしかない。しかも一回ごとに条件の変わる登山行為を他の人の登山と比較するのは難しい。登山というスポーツでは、登山者が勝っても敗北する相手がなく、登山者が負けても誰の勝利にも帰さない。登山の審判をするのは登山者自身である。失敗の原因をやたらに道具や天候のせいにするのは卑怯である。悪天候に負けず、道具を立派に使いこなすのは登山者の責任である。
安全限界(margin of safety)
 安全限界といってしまうと、あたかも一本の限界線があって、その内側なら安全であるかのように考えるのは間違っている。安全のための余裕と考えるのが良い。登山行動において余裕をどのくらい残しておくかはよく考えなくてはいけない。行動範囲の決定は登山者自身、リーダーが行う。スポーツであるとすれば、全力を尽くして登ってかまわないが、ここで言う全力とは体力、狭義の技術、装備だけではなく、山の見方、リーダーシップ,フォロワ―シップ、判断力など広義の登山技術を含めた上での実力の上で考えるべきものである。本当の勇気は全員を無事に、下山させる判断を優先できることである。本当の頑張りとは、疲れて気分がダレたりしている時でも、危険に対して最新の注意を失わない意思の力をいうのである。
登山技術のあり方
 技術や装備は、年とともに進歩し複雑になっていく。だからといって、すべての登山者が新しい方法や装備を取り入れなければならないわけではない。道具をあまり使わず、技術そのものの向上を重視するのは正しい。
この頃は登山各分野の専門化が進んできている。人工壁でのフリークライミング、エクストリームスキー、アイスクライミングなど従来の岩登り専門、沢登り専門、雪山専門、藪山専門、低山専門より更に先鋭化されてきている。限られた分野を楽しむだけであるならば専門分野のみ徹底的にトレーニングすればよいが、総合的な判断能力を身につけなければならない普通の登山者には不適当である。
 初めから専門分野だけで育てるのではなく、低い山から高い山へ、夏から冬へ順序良く積み重ねられた経験は、冬山や傾向の違う登山における諸問題を判断するときに正しい勘を働かせてくれる。
山の見方
 どういうルートを取れば安全でしかも楽に歩けるか、雪崩の危険はどうか、天候が悪化したときにはどう計画を変更するか、はしっかり身につけなければならない。案内書、記録、ルートズなどによってコースを調べるだけが多い。自分の眼でルートを探し出す面倒は避け勝ちである。天候が悪化すれば、30年前、100年前の山と変わらなくなる。こうした時、実力が現れるのである。これは単なる体力と技術だけの問題ではなく、山の見方から結論される判断によって結果は大きく左右される。
危険の避け方
 危険の予知、回避、確保、退却といった防御的な技術は、積極的な技術に較べ無視されやすい。登山技術は深く広く学ばねばならない。登山技術の多くは本物の山を歩くことで身につけていくが、確保の技術は安全な場所で技術指導を受ける必要がある。雪技術は豊富な経験がいる。雪質の種類、時間変化、斜面傾斜など条件が多く、また変化が激しい。日本の冬山はヒマラヤほどのスケールはないが、積雪多さは世界有数である。
 高山での悪天候は激しい。低体温症による凍死は思いがけないアクシデントではい。それに対処すべき何らかの対策を行わなかったからである。山を良く知ること、地形ばかりでなく、天候や積雪などを考慮すること、登山者の山における心理的、肉体的変化、その能力限界を良く知り、無理を抑えることが大切である。
 偶発的な危険をアクシデントというが、登山技術が優れている人ほど被害が少なくないものである。身体能力が優れ、動作が機敏であれば怪我に至らないこともある。雪崩事故はそこに人がいなければ被害はない。登山行為では危険箇所を通過しなければならないという条件面では必然性を持つ。危険箇所を通過するという「必然性」と、自然発生する「偶発性」も併せ持つ雪崩に関しては研究と経験を向上させなければならない。
 トラブルは一個とは限らない、最初の小さな忘れ物から怪我をし、行動を遅らせて悪天候につかまるというケースもある。トラブルをゼロにするのではなく、トラブルの発生を少なく、且つ連鎖を断ち切るのが大切である。
 昔の登山者(昭和30年以前か?)は山や天候の知識や情報に乏しく、登山技術や装備が遅れていたにもかかわらず、意外と事故が少なかった。これは初めから危険の襲来を覚悟し、常に対策を考えていたからである。
(高度経済成長と登山ブームでの遭難多発はこの本が発刊された以後のことである。平成の100名山ブーム以後の現在から見て昭和40年代は昔である。)

山の案内

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加藤の趣味本

不連続変化の時代

不連続変化の時代.jpg想定外危機への適応戦略 ジョシュア・クーパー・ラモ著 田村義延訳
2009年12月25日 初版
 「行動の結果を事前に知る事はできない。だから、変化はかならず良い結果につながるという信念を持つことだ。それが希望というものだ。」ラモはこのように書いている。又、このようにも書いている。「急激に変化する世界で、本当に重要な事は、その分野の専門家が見ない、あるいは見えないところに隠されている。・・・・・変化の前触れは想定外のところで起こる。」と。
 不景気で不安が多いからといって、ありもしない「確実な将来と安全・安心」を求めすぎて、がんじがらめになっている多くの人に読んでもらいたい一冊だ。

金・銀・銅の日本史

金・銀・銅の日本史.jpg 村上隆著 2007年7月20日 初版
 その輝きで人々を魅了し続けてきた「金・銀・銅」は贅沢な装飾品として、通過として、歴史を動かす「冨」そのものであった。そしてそのいずれについても、かつて日本は豊かな産出量を誇り、採鉱、精・製錬、金属加工の技術は、驚くべき高みに達していた。豊富な資料に基づいて、古代に始まる「モノづくり」の手わざの跡をたどっている。
 石見銀山遺跡がユネスコ世界遺産に登録されたのは2007年6月28日である。